月光仮面

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『月光仮面』は1958年に放映を開始され、絶大な人気を博した日本初の連続テレビ映画です。

主演は大瀬康一(おおせこういち)さん、原作は先頃亡くなった川内康範(かわうちこうはん)さんでした。

撮影には当初ゼンマイ式のカメラが使用され、セット無しのオールロケ、場合によっては制作会社・宣弘社の関係者の自宅さえも撮影場所として使われたそうです。

最初は低予算で四苦八苦のスタートでしたが、フタを開けてみたら最高視聴率67パーセントの大ヒットで、なんべんも映画化されアニメ化され、今年2008年には製作50周年を記念して本も刊行されました。

もちろんヴィデオなどない時代でしたから、放送時間には銭湯から子どもの姿が消えたといいます。

音声を撮影と同時に録音せず、後からスタジオで音を入れるアフレコ方式だったので、主演の大瀬康一さんは月光仮面に扮しているときはセリフを覚えていなくてもすんだため、とてもラクだったとおっしゃっています。

月光仮面は口の周りをマスクで覆っているので、ただ口をとがらせて息を吹き出していればしゃべっているように見えたからです。

大画面液晶テレビで俳優の毛穴まで見えてしまう現代からすると、夢の夢みたいな時代だったのです。

月光仮面のマネをして、風呂敷を首に巻き高い所から飛び降りてケガをする子どもが続出して問題になった、という話も残っています。

しかし、同じテレビドラマを観て共通の話題にすることでコミュニケーションを形成するという図式が『月光仮面』から始まった、ということは間違いないでしょう。

テレビというものは怖い仕掛けなのです。

写真はDVDのジャケットから拝借させていただきました。

仮面と変身願望


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『月光仮面』の昔から、ヒーローものの主人公は仮面を付けています。

『ウルトラマン』や『仮面ライダー』シリーズになると、ヒーローは顔ばかりか全身までをもスーツで覆い、巨大化して空を飛んだり、超人的な能力を発揮して悪を滅ぼし、しかも彼らは例外なく不死身です。

子どもは変身ヒーローが大好きです。

オモチャの面をかぶりヒーローになりきって、いつまでも遊んでいます。

人間には根源的に変身願望があるのです。

自分以外の存在になれるのは、とても楽しいことだからです。

ですから、原始のころから、祭などで人間は仮面を付けて様々な変身行為に興じてきました。

秋田の「なまはげ」や岩手の「鹿(しし)踊り」などは、その典型的な例です。

両方とも布や仮面で顔を隠して、鬼や鹿に変身します。

それに比べると、現代人は変身がずいぶんヘタになってしまいました。

臨機応変に上手く変身することを心がければ、コミュニケーションは格段に向上するはずです。

「仮面夫婦」とか「仮面家族」というのはいただけませんが、場面や相手に応じた「正義の仮面」を付けていけば、ヒーロー、ヒロインになれるでしょう。

でも、ムリな変身はいけません。

あくまで自然に変身できるようになりたいものです。

写真は「姫路市郷土玩具展『ふるさとのお面』」さんから拝借させていただきました。

能面のこと

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能面には、「鬼神」「老人」「男」「女」「霊」の5種類があります。

仮面をつけて演じる芝居というものは太古の昔からあって、あのギリシャ悲劇もまた仮面劇でした。

日本の古代演劇である伎楽(ぎがく)と舞楽(ぶがく)も仮面をかぶって演じられました。

ただ、伎楽の面が首から上をすっぽりと覆う「かぶり面」だったのに比べて、舞楽の面は顔の前だけを隠す「付け面」でした。

能面も「付け面」ですので、能面は舞楽面の影響を受けているという指摘があります。

しかし、面としての完成度からいうと能面は完璧です。

面を付けた役者がうつむくと「悲しみ」が、上を見上げると「喜び」が表現されるようにできています。

つまり、見る方向によって見え方が全く違うように作られているのです。

象徴的演技を旨とする能楽の演劇性を凝縮した道具が能面なのです。

ところで、能面は役者の顔よりもひとまわり小さくて、面の下から役者のアゴが見えているのが普通ですが、あれはどうしてだかご存じでしょうか。

確かに人間が演じているのだということをわからせてリアリティーを生むためだ、という考え方もありますが、役者の声をはっきりと届けて芝居を確実なものにするためではないか、とも思います。

能楽の大成者・世阿弥元清は言っています。

「役者の良い声もまた『花』である。」

役者の声に聞き惚れるというのは、歌舞伎にも共通します。

芸能というものは、必ずいろいろなところで重なっているのです。

古典への教養を深めて、日本人どうし、あるいは外国人に向けてコミュニケーションを活発に作っていきましょう。

写真は「ウィキペディア」さんから拝借させていただきました。

能の面白さ

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狂言といっしょに能『舎利(しゃり)』を観ました。

舎利という釈迦の宝物(実は釈迦の歯)を盗んだ鬼(写真手前・赤毛の人物)を韋駄天(いだてん。写真奥・白い顔の人物)という神が追いつめ、その宝物を取り返すという物語です。

実に面白い展開で、勧善懲悪にして痛快無比、これは立派なアクション・アドヴェンチャーでした。

能には「序・破・急」という構成上の決まりがあります。

ストーリーの流れが「初めはゆっくり、やがてそのテンポを破り、最終的には急速に展開」していくというものです。

この『舎利』はその定石どおりの作りで、これぞ正に能楽という作品でした。

「序・破・急」という作法は西洋音楽の「急緩急(きゅうかんきゅう:はやい、ゆっくり、はやい)」にも通じるもので、洋の東西を問わず人間が考えることは同じなのだなあ、と思いながら能を観ていました。

能は江戸時代になってから多く歌舞伎に翻案されています。

歌舞伎がお好きな方には、能をご覧になることをお勧めします。

教養の守備範囲を広げてコミュニケーションの可能性を拡大しましょう。

写真は公演パンフレットから拝借させていただきました。

狂言の起源

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狂言を能楽と併せて上演するようにしたのは世阿弥元清(ぜあみもときよ:能楽の完成者)ですが、狂言の起源についてはよくわかっていません。

しかし、奈良時代に中国から輸入された一連の大衆芸能「散楽(さんがく)」の中に「滑稽問答」「独り語り」という芸がありますので、これが狂言のもとではないかと思います。

能楽はそのずいぶん後にでき上がった「猿楽(さるがく)」をもとにしていますから、狂言の方が歴史的にはずっと古いのです。

ちなみに、「猿楽」という名は「散楽」が転訛(てんか:時を経て発音が変化すること)したものです。

複数の人間がばかばかしい会話をする芸態からして、漫才は狂言を手本にしたものでしょう。

また、狂言には役者が一人で延々と物語りをする「狂言語(きょうげんがたり)」という芸もあり、これは落語の源ではないかと考えます。

古典についていろいろと知っていると、現在の芸能を見る目も豊かになります。

温故知新です。

写真は、昨日ご紹介した公演のパンフレットから拝借させていただきました。

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